10年お世話になってきた街の小さな染色材料店が今月で閉まります。
おばあちゃんが一人で、経営しているお店でした。
私は、藍染めの工房を職人になれずにやめました。3年務められなかったのです。
3年務めれば職人というのは、よく言われますが、そうではなく、社会人としていろいろなことを覚えられて
その会社に勤めたと言える物差だと思いますが、そこが出来なかったわけです。
理由は2,3ありますが、今となればただ若かったせいだと思うけど、とにかく辞めたくてやめたのですが、
ふらふらと街をさまよっているうちに見つけたのです。
そこは、つぶれた美容院のようなさびれた雰囲気に暖簾で「染色材料」と書かれていました。
(現在のお店は、そこからさらに引っ越した場所)
ずっと気になっていましたが、正直妖しい雰囲気だったし行けなかった。
そうこうしているうちに、知り合いの雑貨屋さんに「染めたTシャツをうちに置かない?」と言われ、
考えた末、やってみることにした。いづれふらふらしているよりマシだと思ったし、染め物は続けたかったから。
勇気を振り絞って訪ねたその怪しいお店には、ちいさなおばあちゃんが一人座っていた。
それが出会いです。
いつも行くと、まずお掛けくださいと言われる。お茶を入れてくれている間に、世間話をする。
ついつい自分の悩みなども話してしまったり、不思議に落ち着かせてくれる。
染め物の道具も知識も無く、ただ工房で2年働いただけの自分に道具をくれて、知識を与えてくれた。
一人で染め物をやり始めて、10年、失敗ばかりしてきた。
そのたびにおばあちゃんには助言や自信を与えてもらってきた。
地震があって、もう染め物はやめようかと思った時も「お続けなさい。今はやらなくても良いから、続けなさい」と言ってくれた。
4月からワークショップをやったり、人前で染め物をしたりし始めたところでしたので、まだまだ
おばあちゃんのところから材料を買わなくちゃと思っていたんですが、
数えで90歳ですものねおばあちゃん。
本当に聡明でシャキッとしていて粋な人です。
函館生まれで戦中戦後の話や、盛岡に来てこの染色材料店の元となる会社に勤めだした頃の
話や、岩手県にたくさんあった染物屋さんの話や、生きている、もう少なくなってしまった学生時代の
仲良しの友達との旅行の話。まだ聞き足りないけど、辞めてしまうんですね。
本当にお疲れ様でしたと、昨日言ったけど、まだ足りないというか、私のような者が言えるのだろうかと
思うほど、尊敬している。これからも私は頑張る。
意志をついで行かなくてはならないので、これからも良き先生としておばあちゃんの元へ通いたい。
いただいたものは預かっているものなので、なんとか使いこなさなくては。
腕も道具もすべて。
表に出なくては。
きわめてはやくいきたかったが、ちゅうとはんぱだからここまでこられた。
おばあちゃんの材料店がなくてはここまでこられなかった。