染めるということで、人と関わって、またやるべき事が見えたので
色を染めるということについて考えています。
何をもって染まるというのかは、それぞれ手法の違いがあるし、そういうことを語るのではなく、
化学や数学や物理も得意ではないので、僕は哲学的にふわっと捉えているのですが、
いづれ、道順や礼儀を間違うと失敗するというのは本当です。
ちょっとしたことは、すぐに調べて学べるはずで、それは普通にみなさんやっていると思いますので、
手法については触れる必要はないはずです。
プロセスだけでは染めではないです。結果、染まったかどうかなのです。
問題は失敗したときに、原因がわからないという状態です。
そのままにしているという行為です。
でも、やって面白かったから、良いや。という初期段階は、
もはや染色作家という人には言えないことです。
大胆に扱った方が、面白いと知っているから、そうしている物は、いろいろやった結果で、
何にでも当てはまることではないです。
そういう意味でも、私は藍染めが好きなのです。
大胆に対応しても、繊細に対応しても、すばらしい結果が出やすいからです。
本当に藍色が好きなので、藍色がこの世にあることにすごく感謝しています。
藍色の良さは、これからも伝えてゆきます。
嗚。いつの日か藍草を育てるところから、染めて、染液が終わったら、また畑にまいて、
野菜育てて、とかしたいなー。
海の側でね。
日本でなくても良いな、
外国の海と空はどんな藍色なんだろう。そこで、どう染まるんだろう?
やっぱり、色は
色足らしめるものがあって、その色と感じるんだと思う。
私はそのあいだにある関係性と付き合うように染めてゆきたいと思っている。
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